平成21年4月臨時議会

県教育委員会人事案に対する反対討論

市民ネット・社民・無所属の川本幸立です。
議案第6号、県教育委員会人事議案に同意を求めることに反対の立場から討論します。


 私たちは、学校現場にかかわるさまざまな課題、問題を議会で取り上げてきました。
・県立高校校舎からの生徒の転落事故(これは過去9年間で17件発生し3人が亡くなられています)
・特別指導による中途退学の強要
・学校現場における職員によるセクハラ事件
・県立高校で築30年経過した建物が床面積ベースで5割近く百万平方メートルある中、一度も外壁塗装や屋上防水などの大規模改修が行われず、埋立地にある学校では1m近く地盤が沈下しており、コンクリートの破片落下による事故、大地震時の大規模な被害が心配される県立高校施設管理の実態です。本来大規模改修費用として毎年数十億円投入すべきところ、財源不足で放置されています。

 こうした問題を取り上げるたびに感じたのが、これらの課題、問題に対する教育委員の当事者意識の希薄(きはく)さでした。
昨年の12月議会でも指摘しましたが、
・県教育委員会会議規則第5条で委員の議案発議が認められているにもかかわらず、少なくとも過去3年間1件も委員からの議案発議はありません。
・その一方、すべての議案が、教育委員会事務方の意向に沿って何の異議もなく全員一致で採択されていることです。
教育委員がいわゆる「レイマンコントロール」にふさわしい本来の役割を果たすことは緊急の課題です。昨年の12月議会では、こうした教育委員の当事者意識の希薄(きはく)な実態から、教育委員会人事議案に反対した経緯があります。
確かに、教育行政の責任と権限を持つ教育委員の任命は知事の仕事ですが、その最終決定権は議会にあります。首長と議会が競い合って県民に説明責任を果たすという2元代表制の下、知事から提案された委員候補が、千葉県の子どもたちの教育を託すにふさわしい人材かどうか、その見識、力量をしっかりチェックすることが県民から付託された議会の責務であり、議会は県民に対する説明責任を果たさねばなりません。その点で、先ほど指摘した問題の責任の一端は議会にあります。
今回、職歴とともに「教育委員会委員候補としての考え」という1枚の文書が配布されました。これに書かれた抽象的な内容では、候補者の見識や力量について判断し、県民に対する説明責任を果たすことはそもそも不可能です。

この文書で気がついた点の内、3点指摘します。
1点目は、知事が選挙で出したいわゆるマニフェストをみると「教育再生諮問会議」(仮称)の設置、道徳教育の強化、歴史教育の見直し、民間出身の校長の採用などの言葉が並んでいます。一方、教育基本法第16条で「教育は不当な支配に服することなく」と教育委員会は首長から独立した合議制の機関として設置され、首長の指揮・命令は直接及ばないとして「教育行政の中立性」が定められています。この「中立性を遵守する姿勢」がどうかということです。
2点目は、1点目に関連することですが、「改正」教育基本法についてはふれていますが、憲法についてはふれられていません。憲法13条は「個人の尊重」を最高の価値とし、多様性を重視していますが、文書では「正義感や徳性の涵養」「心の豊かさ」などという言葉が目につきます。こうした個人の内心領域にまで踏み込むことは本来、「個人の尊重」とは相容れないことです。
3点目は、結果の公開・非公開を巡り話題となっている全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)ですが、07年度の結果については、東大の苅谷剛彦さんらが委員として参加した千葉県検証改善委員会が分析し、小中学校段階での学校改善支援プランとして、「地域や家庭の格差」を考慮した行財政面での政策の実現を県教委に求めています。現在の経済危機の中、「格差の克服」が一つのキーワードですが、文書からは「格差の克服」という観点を読み取ることはできません。

 余談になりますが、知事の選挙時のマニフェストにはセーフティネットの充実、格差の克服、人権という言葉がスッポリの抜け落ちていることをここで指摘しておきます。

 以上、「教育行政の中立性」「憲法13条の個人の尊重」「格差の克服」の3点についても教育委員候補者の姿勢が不明であり、その見識の妥当性について判断できず県民への説明責任を果たすことができないことから6号議案に反対します。

 なお、最後に、教育行政の経営者の力量を判断するのに、本日のように提案をして即可決するということは県民から付託された責務を果たしていると言えるのでしょうか。委員候補の見識を直接伺い、意見交換して千葉県の教育を託すに相応しいかどうかしっかり議会が判断できる日程、手続きをとることを求めて、私の反対討論を終わります。